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▲中国アコーディオン協会会長張自強先生と
▲「北京市少年宮」北京市少年文化中心のアコーディオンクラスのレッスン風景
▲アコーディオンクラスの先生(中)張国平(左)
▲レッスン風景
▲張自強先生、姜杰先生(北京姜杰文化芸術中心の校長)と姜氏のオフィスにて(一角にサンド・バッグがある)
▲アコーディオンのショーウィンドー
中国アコーディオン事情(上)
○日中アコーディオン交流〜はじめの一歩
2003年3月の中旬、久し振りに「手風琴の大国」と呼ばれている故郷に帰り、上海で家族とゆっくり過ごすことが出来て本当に良かったです。
私はもともと今回の旅はプライベートだけのつもりでしたが、JAA日本アコーディオン協会から、「これからはアジア諸国、特に中国のアコーディオン界との交流を」との話を受けて、上海へ行くなら、北京も含めて中国のアコーディオン事情を調べてみることにしました。上海から北京までの距離は1,460kmがあり、行き方をちょっと迷っていましたが、安全と経済の面を考えた上で「火車」(鉄道)を選びました。
夕方の6時上海出発の夜行寝台車を乗れば翌日の朝8時に着きますので、時間の面でも無駄がなく、気楽な一晩でした。
○張国平(チャン・コクヘイ)さん
今回「下見」の出発前に、予定していた最初の会う人は、中国の「中央广播芸術団」(北京にある中央ラジオ放送局芸術団)の張国平というアコーディオン演奏家でした。張氏は1960年北京で生まれ、幼い頃から彼の父であり、 中国の有名なアコーディオン演奏家、教育家でもある張自強先生(現在、中国アコーディオン協会会長を務めている)にアコーディオンを習い、1987年以来ドイツ、またアメリカで行われた世界アコーディオンコンクールで優勝しました。その後、中国のアコーディオン演奏家としてカナダ、イギリス、フランス、スイス、アメリカなどを訪問し、リサイタルを開きました。彼は古典音楽からポップスまで幅の広いレパートリーと豊かな演奏表現力の持ち主であると好評され、この十数年間彼は中国の代表的なアコーディオン演奏家として活躍されています。 演奏活動だけをなされている張氏に中国のアコーディオン事情を聞いたところ、
現在中国のアコーディオン人口は数年前と比べると人数が減っていてますが、一方で、レベルは上がっているとおっしゃいました。
そのアコの人口が減っている原因はアコーディオンが上手に弾けても、社会的に「技能」として認めてくれないのと、「職業」として「職場」が少ない。
即ち、教える仕事としてそんなたくさんの「職場」もないし、演奏家としても「舞台」を得るのも大変難しいようです。
裏の話ですが、教える「職場」が少ないため、教え子が「卒業」したら自分も先生になり、もとの師匠のライバルとなって生徒を奪い合いあってしまい、トラブルとなるケースがよくあるようです。
話を戻しますが、アコーディオン人口の大国と言っても、子供が主流で、子供を一人しか生めない親としては子供の将来の生涯保障に直接に繋がらないという現状を見ると、「投資」する親を増やすことがなかなか難しいようです。
ただ、習っている子供たちは、「本気で将来プロになろう!」という気持で大人の選曲とあまり変わらない難しいことをやっている子が多いようです。
最近数年間の間、張氏は中国の各地で行われた、特に大型の国際アコーディオンコンクールで審査員として務め、いろんな現状を見てきました。
全体的にレベルが上がっているの中で、一部若手奏者が「基礎テクニック」の訓練を軽視しているようだと指摘されました。
その理由は一部指導の先生がコンクールだけを狙って、無理に難度の高い曲を生徒にやらせて、
結局基礎なものがしっかり身に付けていないため、本番でぼろが出てしまう。
私の個人的な考えでも、身長、及び手がそんな大きくではない子供には、あまり無理な選曲をしない方が良いのではないでしょうか。
日本では教室に通いに来ている大人を中心とするアコーディオン愛好者の多くは趣味として「楽しく習う」のが目的であって、教える側も「お客さん」でもあるという意識を持ちながら「教える仕事」をするのが多いようです。ですから中国では先生と生徒の関係だけで、アコーディオン奏者を育てるという意識及び責任を持って、「厳しいレッスン」をするのが多いようです。
それを確かめる機会を与えてくれたのが北京での三日目の訪問でした。
○北京市少年文化中心(国営センター)を訪問〜一番疲れたのが私?〜
張国平氏自ら御伴して北京市少年文化中心(国営)のアコーディオン科を訪れました。話によりますと、毎週土、日はなんと朝7時から始まっているようです。音楽関係のクラス以外に、美術関や、外国語などのクラスにも沢山子供が来ています。習っている子供の面倒を見るために一緒に来ている親も少なくないのです。また、ある人数の子供達が午前中は英会話や美術クラスに、午後は音楽クラスに来ています。駐車場には自家用車が多くて、十数年前の生活風景と随分変わった感じでした。施設のなかに先生の専用食堂があって、そこで無料の昼食(工作餐と呼ばれて、即ち仕事のための食事)を頂けます。
その日張氏と私が午前9時半ごろに着いてからすぐアコーディオンクラスの教室をご案内されました。
ドアが開き、目の前に一対一の個人レッスンの様子が現れました。先生は三十代後半と見える女性で、生徒は小学校四〜五年生くらいの少年で、先生もアコを担いで、話をしたり、音を出したりしていました。
紹介して頂いたときにスイートな笑顔で素敵な先生だなと感じましたが、レッスンに戻るとすぐ息が詰まるような緊張感が張り詰めた雰囲気になりました。
レッスンの課題曲はパガニーニ練習曲の一部のものですが、子供の小さい手で一オクターブの分散和音を弾くことはかなり辛く感じられましたが、さらに左手の低音ラインも要求され・・・。見学をしている私は子供が倒れるかなぁ-と心配してしまいました。
でも、先生の指導は厳しいですが、時には褒めてあげたり、励ましたり、私が見学していた30分間、あの子供は最後まで元気でした。多分一番疲れたのが私かもしれませんね。
そのあとのグループレッスンも面白かったですよ。
同じ先生、同じ教室で、6人の5〜6年生の子供と親6人(なぜか親が必ず毎週一緒に来ているようです、しかもレッスン中にメモをするのが親たちです。その真剣さに驚きました!!!)。
教室の予備アコーディオンを出してレッスンが始まりました。先生が始め一人ずつにした質問はアコーディオンの練習状況ではなく、学校の成績状況でした。先生によりますと、アコーディオンを習っている子供たちに学校の成績を落とさせたくないようで、いま来ている子達は各自の学校で総合成績は殆どクラスの前から5番目以内だそうです。私は子供たち、親たち皆、結構頑張っていることに感心しました。
合奏レッスンの内容もやはり難しい曲です。
基礎練習曲はマニアンテ教本の音階で、曲はバッハのインヴェンション(2声創意曲)のほかに中国の曲も教材として使われています。その日の見学に最も印象的でしたのが最後の子供でした。
合奏が終わってから、本来午後からレッスンを予定している一人の子を早めに来てもらって、ソロを聴かせてもらいました。この子は6歳からこの先生に習い始め、今は12歳、小学校6年生です。
曲目は編曲されたパガニーニの「鐘、(ラ・カンパネラ)」とパガニーニの演奏会用練習曲の一つ。
私は1曲目が始まるとすぐビデオカメラを手にして、驚愕しました・・・。テクニックから見ても、曲想の表現力から見ても12歳の子供が弾いているとは思えない!自分の12歳の頃を思わず思い出してしまい、当時私はすでにステージに立っていましたが、今考えると簡単な曲しか弾いていませんでした(弾けなかったのが本当の話ですね)。
子供の演奏が終わってすぐ、私はこの子を是非日本に連れって皆さんに紹介したいなぁと先生に言い出しました。
先生は、それくらいのレベルの子供なら簡単に十数人を集められると答えました・・・!
その後の食事中にも先生とこれから日本と中国のアコーディオン界のいろいろな交流の可能性を話しました。
○おいしい「工作餐」(コンゾォサン)
なぜか「取材の仕事」をしたという理由で「工作餐」をご馳走になってしまいました。ご飯、饅頭、焼きサツマイモ、おかゆ、そして、5、6種類のおかず・・・。お腹が空いているからなのか、ものが美味しいからなのか、思わずお替りして、食べ放題のお昼に満腹になりました。でも、その日に残ったものはお腹に入ったものではなく、目に、耳に、心に入った音楽です、子供達の姿です。
○張自強(チャン・チィチャン)さん〜「日中アコーディオン会の交流は空白」〜
北京滞在の二日目、張国平氏の紹介のお陰で、中国アコーディオン協会会長張自強先生(張国平氏の父親)にお会いすることが出来ました。私が小学生の頃、 すでに先生は中国のアコーディオン界の有名奏者、及び大先生でした。
プロのアコーディオニストでもあります美しい奥様とのご夫婦のアコの響きを、よくラジオで聞いていました。
ご自宅に着く前に本当にドキドキして、緊張しましたが、意外にとってもやさしい方でいらっしゃることが分かりました。数年前に重い病気を患われたようですが、もう回復なされました。その日に奥様もいらっしゃいましたので、ご夫婦とお会いすることも出来ました。
私が小さい頃に見かけたメディアで使われた奥様の写真の姿と変化がありましたが、やはり当時の「風采」がまだ見えます。この数十年に渡って会長の張自強先生はアコーディオン分野においての演奏、研究、教育及びアコーディオンの普及の面でも大変な成果を上げ、中国のアコーディオン歴史の中では重要な役割を果たしました。初めての面会ですので、
私は自分が日本で活動している状況の報告とJAA日本アコーディオン協会のこと、また会長の松永先生のご挨拶、及び今回の伺う目的などをお伝えしました。
ご夫婦とも暖かい歓迎の言葉を下さり、私の気持ちは、すぐに親しい先輩のそばにいるように感じました。
お話によりますと、今まで日本と中国の文化交流では政府と民間両方ともすべの分野に実績がありましたが、唯一アコーディオン界の交流はまだ空欄だそうです。
会長の張自強先生から、その交流の可能な項目と実現させるための協力についていろいろな提案とアドバイスを頂きました。
ある意味では今度の「旅」は、日中アコーディオン界のこれからの交流の第一歩と言ってもよろしいのではないでしょうか。  
○二つ目のルート、民営カルチャーセンター
ここで皆様にご紹介したいもう一つの中国アコーディオン界の事情があります。
今回中国のアコ事情を取材することには二つのルートに分けて進むという考えがありまして、一つは、今まで日本の文部省のような政府の文化機関が管理されている伝統的な組織ルート、例えば「中国アコーディオン協会」は「中国音楽家協会」に所属し、アコ協会の人事は「中国音楽家協会」の認めが必要です。それは上記の中国アコーディオン協会のことでもそうですし、また北京市少年文化中心、または市に所属する各区にある区の少年文化中心、及び北京以外の省、市、区にある公的な施設の運営しているカルチャスクールなど。それと同時に国の「解放」政策によって、近年北京を含む全国各地で個人が経営している文化的な事業や、ビジネスも盛んになってきています。
その中で、現在最も中国で知られている大規模なカルチャセンターである「北京姜杰文化芸術中心」を皆様にご紹介させていただきます。
○姜杰(ジアン・ジェ)さん 〜オフィスに「サンド・バッグ」?〜
姜杰氏がカルチャーセンターを運営されているという話は今まで耳にしたことがありましたが、直接目で見たのは今回が初めてです。
彼はもともとアコーディオン奏者であって、
1985年に当時の中国の文部省から許可を得て、北京アコーディオン学校を創立しました。
その後、1988年北京アコーディオン協会を創立、1990年に100人のアコーディオン合奏でデビュー、1993年8月中国の文部省の許可を得て第一回中国アコーディオン芸術祭を開き、その閉幕式で伝説的な1000人のアコーディオン大合奏を成功させました。姜杰氏政府の文化管理機関と組んで1993年から2001年までの間、前後8回中国アコーディオン芸術祭を開きました。
1993年からアコーディオン、ピアノ、バイオリンのグレード試験センターを設け、1994から2002年の間に北京の各地域、及び北京から20キロほど離れている天津を含む合計10数ヶ所で「分校」(センター)を作り出す、また、2001年から外籍のロシア人のピアノ、アコーディオン、打楽器の専門家を教師として長期的に雇い、同時に企業の管理職を専門家の経理やマネジメントを採用。
現在、設けている科目は、音楽の12個専修科目以外にダンス、美術、英語、パソコン、タレントコースなど。在校生徒数は4歳から大人まで一万人を超え、講師陣は外国籍の講師を含めて総数500人以上を雇っておられるそうです。
今回姜杰氏と会ったのが北京に入った2日目の午後でした。会長の張自強先生が自ら御伴して「北京姜杰文化芸術中心」の本部を訪れました。
車が建物に近づくと、まず眼に飛び込んで来るのが、目立つビルの外壁に付けられている日本の大手銀行のような大きな立て看板です。
中に入ると、ズラッと長い列で展示されている、ヤマハやカワイを含む世界中から輸入された10種類以上のブランド品のピアノです。
その展示フロアーの一端の両側にイタリア製のBUGARIやロシアから直入のバヤン、鍵盤式、ボタン式のアコのショーウィンドがありました。
いまの中国ではピアノはヤマハなど、アコーディオンはBUGARIなどのブランド品も結構売られていることが分かりました。楽器の値段は普段庶民の給料の何か月分という計算方法は今までと同じですが、今回は上海を訪問した際にも感じましたように、現地の人々の収入が把握しにくく、「差」ということがあっても、昔と比べられないことも分かりました。今回故郷に帰って分かったのは、共産主義である我が国でも、「私営企業」がそこまでやれるようになり、「私有財産」も許されるようになったことです。その事実を心から嬉しく思いました。
このフロアーには事務のカウンターがあって、ある程度の個人レッスン室が設けられています。
3階は各部門の事務室があって、そこの一番奥にある校長室に案内されました。10分ほどを経過してから現れた姜氏は大変お忙しい姿で、芸術家である実業家の品格の印象を受けました。
ご挨拶をしてから姜氏が隣にあるもう一つの「私用」的な雰囲気を感じさせる校長室を案内してくれました。必要以上の広さの彼のオフィスの中で、最初に目に留まった「家具」は部屋の一角に天井から吊り下ろされている大きなボクシング用の沙袋?です。
スポーツが好きの方か、ストレスを発散するためのか、もしかして戦うのが余ほど好きなのかも・・・。
○双方の友人の存在〜日中友好の発展を!〜
姜氏は日中アコーディオン界の交流についても興味津々です。
1985 年ごろ彼がアコーディオン学校を創立した際、いま横浜に住む私の友人であり、アコーディオンの愛好者でもある横井啓四郎さんと北京で出会い、当時横井さんが北京にあったオフィスの常住担当者に就いていたため姜氏と親しい友人となり、それから3年後、横井さんが日本に戻るときに持っていた一台のヤマハピアノと打楽器などを彼に残したことがありました。そのお世話になったことが姜氏本人の心の中にずっと残ており、今でも日本に大変好感を持っておられます。
姜氏はこれから日中の文化、特にアコーディオン界の交流に関することを是非やりたいと語りました。
例えば、中国対外文化交流協会、北京アコーディオン協会(中国アコーディオン協会と別な組織)、と共同して「北京姜杰文化芸術中心」が主催する「2003年第十回北京国際アコーディオンコンクール」にJAAの会長、若しくは理事長クラスの方を審査員として御招きしたいと、また、cobaさんのコンサートも是非中国でやってほしいと注文されました。やはり中国と日本は近いし、文化的な面でも通用する部分が沢山あるし、両国の友好交流としても、音楽、芸術、文化の分野においてのビジネスチャンスの視点から見ても、両方の力を合せて今までより一層の発展をさせるべきではないでしょうか。